青春ノ頁 その3
2022年4月16日 16:41
私と高校野球(3) ―― 監督としての熱源 ――
八尾高校野球部 元監督 伊藤 敏幸
昭和54年という年は、私にとって、その後の人生の画期を為す年でした。4年間の非常勤講師時代を経て、ようやく新規採用正式教員としてスタートした年だったからです。
4月に桜井高校へ赴任した私は、その年の夏、甲子園出場という幸運に恵まれました。
桜井高校が春夏を通して初の甲子園出場を勝ち取ったのです。
私は当時、サッカー部の顧問をしていましたが、大阪で学生野球をしていたということもあって、校長からコーチとしてチームに帯同するように命じられました。
私にとっては願ってもない貴重な経験の場を与えられたのです。宿舎での生活、当地での練習等々、甲子園出場とはこういうものなのか、ということをいろいろと体験させてもらいました。
しかし、なんといってもテレビではなく甲子園球場で直に見る開会式の厳粛にして 晴れやかな光景に接してのあの感動は、その後の野球部監督としての熱源になったように思います。
平成2年の八尾高校夏の県大会ベスト4も印象深い思い出です。
富山東との激闘などを制して勝ち進んだ準決勝、甲子園まであと2つ。
今から思うと、無心で戦うというのも一つの戦い方であれば、強く甲子園を意識して戦うというのも戦い方であるとすれば、なぜもっと後者の戦い方をしなかったのか、という後悔の念が去来します。
それにしても、多くの生徒たちと出会い、共に汗を流した練習や試合を思い返すとき、そこには恵まれすぎるほどの時間が流れていたことに気づきます。
(令和 3年 12月 7日 記)