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青春ノ頁 その7

2025年7月21日 11:11

私と高校野球(7)  ―― ターニングポイント ――

 

八尾高校野球部 元監督 伊藤 敏幸

 
昭和57年4月、わたしは桜井高校から八尾高校へ転任し、その一年目から野球部の監督になりました。30歳の時でした。
監督一年目というのは私自身、若輩ということもありましたが、「思いと現実」がかみ合わず、とくに3年生とは関係性がなかなか取れないでいました。生徒たちは前監督への思いもあり、また新しく監督になった人物がどのような人柄でどのくらいの器量があるのか、いろいろな機会を捉えて試していたのではないかと思います。
そういうこともあって好きな野球であり、張り切って監督になったわたしですが、放課後グラウンドに出ることが億劫になることもありました。そのたびに「逃げたらあかん」と心を奮い立たせ、どこかでこの状況を打開しなければ、と思っていました。
 
そしてその時がやってきたのです。五月の後半だったと思います。
 
3年生のなかでもチーム一番のムードメーカーであり、副主将でもあり、試合でもリードオフマンでもあったO君が校則違反のズボンを履いて登校してきたのです。放課後の練習前、全員の前でO君を叱り、鉄拳を振るいました(時効ということでお許しください)。
それは「許せないことに対しては許さない」という部員へのメッセージでもありました。
この一件から部内の雰囲気が変わってきたように思います。
 
そして数ヶ月後の夏大会、シード校を9回劇的な逆転サヨナラで破り、次の試合にも勝ってベスト8進出、準々決勝はテレビ中継のあるなかで富山商業と対戦。敗れはしたものの「八尾高校野球部」をアピールできた大会になったと思っています。
野球においてもそうですが、何事の場合でもうまくいかないときはあるものです。しかしそれを打ち破る機会(チャンス)は必ず巡ってきます。
要はその機会を逃さず勇気を持って活かすか否か、ということではないでしょうか。
わたしの場合は運よくうまくいったのかもしれません。
 
ちなみにそのO君、役所に就職し、現在市政の重要な幹部の一人として活躍しています。
彼の結婚式には、なんとわたしまで招待されました。わたしにとってもチームにとっても、そして彼にとっても、あの一件は大切なターニングポイントであったのではないかと思っています。
 

(令和 6年 5月 30日 記)

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