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青春ノ頁 その2
2020年6月13日 11:53
私と高校野球(2) ―― ある試合の思い出 ――
八尾高校野球部 元監督 伊藤 敏幸
監督としての23年の間に、大会や練習試合を合わせて、およそ1500試合ほどしていると思いますが、その中でもやはり忘れられない試合というものはあるものです。
八尾高校から富山北部高校にかわってからも、春の関西遠征は続けていました。
兵庫県のK高とは毎年のように試合をさせてもらっていましたが、その年の異動で、わたしは転勤とともに高校野球から離れることになっていました。1試合目が終わり、昼食時の折りに相手校のY監督にそのことを伝え、これまでお世話になったことへのお礼を述べました。
そして始まった第2試合、わたしはK高のメンバー表を見て驚きました。
第1試合とまったく同じベストメンバーだったのです。部員は数多くいるし、兵庫県ではその時期、地区大会も始まっていて、そう無理はさせられない時期です。
Y監督の餞別代わりだったのです。短いイニングで選手は交代したと思いますが、K高の生徒たちも監督の思いを理解して戦ってくれていたように思います。
わたしは只々 Y監督の心づかいに感動するとともに、これまでの関西遠征でのいろいろな出来事を思い浮かべながら、グラウンドを後にしたことを思い出します。
練習試合にも、いや練習試合だからこそ、いろいろな思い出が詰まっています。
(令和 2年 5月 31日 記)
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青春ノ頁 その1
2020年4月14日 8:36
私と高校野球(1) ―― 授業が迫ってくる ――
八尾高校野球部 元監督 伊藤 敏幸
わたしはよく夢を見ます。その夢の中に八尾高校がしばしば登場します。
教員生活33年間のうち14年、つまり教員生活のおよそ半分を八尾高校で過ごしたわけですから当然かもしれません。しかし、その夢の内容は決して愉快なものではなく、逆に苦い思いの夢が大半です。
「授業が時々刻々と迫ってくるのに、その授業の準備ができていない。どうしよう、どうしようともがいている」、だいたいそんな内容が多いです。
放課後は野球、帰宅すれば疲れて寝るだけ。これでは部員たちに不勉強を諭すことなどできません。
でもなんとか教員生活を続けることができたのは、生徒たちの寛容さと、わたしの〝いたならなさ”をカバーしてくれた生徒たちの気遣いがあってのことと思っています。
(令和 2年 4月 2日 記)
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